PianeysのYouTubeで最後に流れるピアノ曲について
Pianeys のYouTubeの動画では、その曲の演奏動画が終わった後に必ず流れるピアノ曲があります。
もちろんこれもPianeysの演奏ですが、とてもおしゃれでポジティブな印象の曲です。
このピアノ曲について、よくお問合せをいただきますのでお答えさせていただきます。
この曲はフォーレ作曲の組曲『ドリー』の中の「キティ・ワルツ」です。
とても華やかで素敵な作品ですが、それもそのはず、こちらは連弾曲なのです。
楽譜はこちら。
組曲『ドリー』の誕生
組曲『ドリー』は全6曲で、すべて連弾として作曲されました。
第1曲 子守歌(Berceuse)1893年作曲
第2曲 ミ・ア・ウ(mi-a-ou)1894年作曲
第3曲 ドリーの庭(Le jardin de Dolly)1895年作曲
第4曲 キティ・ワルツ(Kitty-valse)1896年作曲
第5曲 優しさ(Tendresse)1896年作曲
第6曲 スペインの踊り(Le pas espagnol)1897年作曲
第1曲はフォーレの妻の友人であるエンマ婦人の出産のお祝いに送った曲です。
1892年に誕生したのはエレーヌという女の子で、各曲の作曲年からもわかる通り、フォーレはエレーヌの誕生日に毎年曲をプレゼントしています。
第2曲は2歳、第3曲は3歳、第4曲は4歳です。
厳選して6曲に絞り、組曲としてエレーヌに献呈しました。
組曲のタイトルの『ドリー』はエレーヌの愛称です。
キティ・ワルツ
子猫ちゃんを想像しますが、実際は犬だそうです。
エレーヌの兄、ラウルが飼っていた犬の名前が「Ketty(ケッティ)」でしたが、出版時に間違えて「キティ」となってしまったとか。
第2曲の 「ミ・ア・ウ」もなんとなく猫っぽいですが、こちらも出版時に次のような手違いがあったようです。
エレーヌは兄ラウルのことを「ムッシュ・ラウル」と呼んでいました。
しかしまだ幼い彼女はきちんと発音できず、他の人には「ムッシュ・アウル 」と聞こえていたのです。
とてもかわいかったので、フォーレはこの曲を「Messieu Aoul(ムッシュ・アウル )」と名付けました。
しかし出版されるとなぜか「Mi-a-ou (ミ・ア・ウ)」となっていたそうです。
ベートーヴェンの「エリーゼのために」のエリーゼさんも誤字説が有力ですが、昔はこういうことがしばしば起こっていたのですね。
はたまた、出版社の作戦かもしれません。
しかしこのタイトルのおかげで、ほのぼのとしたかわいらしさが一層伝わる気がします。
独奏版・管弦楽版
組曲『ドリー』の連弾版は1897年に発売されました。
初演は1898年です。
ショパンのコルトー版でおなじみのアルフレッド・コルトーとエドゥアール・リスラーの連弾により披露されました。
1899年にコルトーが独奏に編曲し発表しています。
特に第1曲『子守歌』のような穏やかな曲は独奏版でも人気があるようです。
しかし、やはり圧倒的に連弾版が人気です。
特に華やかな曲を4本の手から2本にまとめるのは難しいと想像できます。
また、1906年にアンリ・ラボーが管弦楽に編曲し発表しています。
エレーヌの母親、エンマ・バルダック
エンマ婦人は1862年に生まれ、17歳で裕福な銀行家のバルダックと結婚し、ラウルとエレーヌの2児をもうけています。
非常に歌が上手で魅力的な女性だったということで、フォーレはエンマ婦人に歌曲集を送っています。
ちょっとここからはドロドロしたお話になります。
実はエンマ婦人とフォーレは不倫関係で、これは周知の事実だったと言われています。
エレーヌはフォーレの子供ではないかという説も、根強く語られています。
やがてフォーレはエンマ婦人との関係を清算します。
その後、ドビュッシーがラウルとエレーヌのピアノの家庭教師となるのですが、ドビュッシーもエンマ婦人と不倫関係になってしまいます。
紆余曲折ありどちらも離婚が成立し、二人は結婚してようやく落ち着きます。
ドビュッシーとエンマ婦人の間にも娘が誕生し、ドビュッシーは娘(エマ、愛称シュウシュウ)に組曲『子供の領分』というピアノ曲を1908年に捧げています。
二人の偉大な作曲家を虜にした女性ですが、フォーレもドビュッシーも女性関係はなかなか派手だったようなので、どっちもどっち感があります。
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子どもから大人までピアノ指導する傍ら、本サイト「ピアノサプリ」を開設し運営。【弾きたい!が見つかる】をコンセプトに、演奏効果の高いピアノ曲を1000曲以上、初心者~上級者までレベルごとに紹介。文章を書く趣味が高じて、ピアノファンタジー小説「ピアニーズ」をKindleにて出版。お仕事のお問い合わせはこちらからお願いします。