【保存版】ショパンコンクールの歴代優勝者・入賞者とドラマを一挙解説!〜第19回ショパン国際ピアノコンクール
ショパン国際ピアノコンクールの第1回目は1927年に行われました。
5年ごとに開催されるように計画されましたが、戦争で中断されたこともありました。
コイントスで優勝者を決めた1932年。
ポゴレリチ敗退に抗議してアルゲリッチが審査員を辞した1980年。
ショパンコンクールは、演奏だけでなく、ドラマでも私たちを裏切りません。
今回はショパンコンクールの歴代の優勝者や入賞者を確認しつつ、様々なドラマをご紹介します。
第1回大会(1927年)
パリで活躍したショパンは、祖国ポーランドに帰りたいという願いも叶わず、39歳の短い生涯を閉じました。
第1次世界大戦後、やっと独立できたポーランドは、ポーランドの人々に愛国心を持ってもらうためにショパン国際ピアノコンクールを開催しました。
第1回大会は1927年です。
第1位には旧ソ連のレフ・オボーリンが輝きました。
レフ・オボーリンはウラディミール・アシュケナージの師匠としても有名です。
ショスタコーヴィチもピアノの名手で、この第1回大会に参加しファイナルまで進んでいます。
第1回大会の審査員はドイツ人1人を除いて、すべてポーランド人でした。
第2回大会(1932年)
第1回大会の大成功を受けて、第2回大会は世界各国から200名以上のエントリーがありました。
第1位の決定方法がまさかの…
第1位に輝いたのは旧ソ連のアレクサンダー・ウニンスキーです。
そして、実は、第1位が2人いました。
もう1人はハンガリーのイムレ・ウンガルで、全盲の方でした。
今では考えられないことですが、審査員のコイントスで優勝はウニンスキーに決まったそうです。
ウニンスキーはその後アメリカに渡り、優秀な教師として多くのピアニストを育てました。
彼自身の演奏録音も多く残っています。
第2回大会の審査員は、ポーランド以外にもヨーロッパの近隣諸国から集められました。
モーリス・ラヴェルやカロル・シマノフスキの名前もあります!
第3回大会(1937年)
第1位は旧ソ連のヤーコフ・ザークでした。
第1回大会から第3回大会まで、すべて旧ソ連のピアニストが第1位に輝いています。
ヤーコフ・ザークは優勝後、母校であるモスクワ音楽院で教鞭をとり、教授から学科長にまで昇進しました。
ちなみにエキエル版でおなじみのポーランドのヤン・エキエルは第8位という結果です。
なお、エキエル版とは、ショパンの自筆譜から弟子の楽譜のメモまで、あらゆる資料を精査し編さんした原典版です。
エキエルが中心となり、ポーランドの国家事業として取り組まれました。
ショパン国際ピアノコンクールではエキエル版が推奨楽譜とされています。
また、この大会は日本人初挑戦の大会でもあり、原智恵子さんが出場され、「聴衆賞」を受賞しました。
あでやかな振袖で見事な演奏を披露されました。
審査員にはドイツの名ピアニスト、ヴィルヘルム・バックハウスの名前もあります。
第4回大会(1949年)
本来は1942年に行われる予定でしたが、第二次世界大戦勃発と、壊滅的な被害を受けた戦後の混乱で、ポーランドはコンクールから遠ざかっていました。
12年後のショパン没後100年にようやく開催の運びとなりました。
悲願のポーランド人初優勝
第4回大会の第1位は2名で、旧ソ連のベラ・ダヴィドヴィチと、ポーランドのハリーナ・チェルニー=ステファンスカです。
どちらも女性のピアニストでした。
これまでの第1位は全て旧ソ連からでしたが、ハリーナ・チェルニー=ステファンスカが開催国ポーランドからの初優勝ということで国中が熱狂しました。
その後、彼女はショパン弾きとして世界各地で演奏活動を行いました。
ベラ・ダヴィドヴィチはロシアの名ヴァイオリニスト、ユリアン・シトコヴェッキーと結婚してアメリカに亡命し活動しました。
この頃からショパン国際ピアノコンクールの審査員として、歴代の入賞者たちの名前が挙がってきます。
第5回大会(1955年)
第二次世界大戦で焼失したワルシャワ・フィルハーモニーホールの再建に合わせたために、6年後となりました。
第1位に輝いたのはポーランドのアダム・ハラシェヴィチ。
そして第2位は旧ソ連のウラディミール・アシュケナージでした。
審査員ミケランジェリの辞任騒動
アシュケナージが第1位でないことに納得できなかった審査員・アルトゥーロ・ミケランジェリは、サインを拒否して帰国してしまいました。
田中希代子さんは第10位で日本人初の入賞者となりましたが、この順位に対してもミケランジェリがもっと上位であると憤慨したそうです。
なお、この大会ではポーランドの作曲家、ヴィトルト・ルトスワフスキも審査員を務めました。
第6回大会(1960年)
第6回大会は、ショパン生誕150周年にあたります。
この大会から、入賞は第6位までとなりました。
驚くべき才能のコンテスタント
第1位に輝いたのはイタリアのマウリツィオ・ポリーニです。
ポリーニの演奏は審査員に衝撃を与えるほど素晴らしいものでした。
名誉審査委員長のアルトゥール・ルービンシュタインは「我々審査員の中に、ポリーニほど見事に弾けるピアニストはいるのか?」という言葉を残しています。
なお、ロシアの作曲家、ドミトリー・カバレフスキーが審査員副委員長を務めていました。
現日本ショパン協会会長の小林仁さんが入選されています。
第7回大会(1965年)
第1位に輝いたのはアルゼンチンのマルタ・アルゲリッチです。
現代のピアノ界を代表するピアニストの誕生ですね。
それまでにも数々の国際ピアノコンクールで優勝していたアルゲリッチですが、ショパンでも他を圧倒して第1位となりました。
最近は室内楽の分野にも力を入れており、自ら音楽祭やコンクールを開催し、若手の育成にも注力しています。
日本からは中村紘子さんが第4位入賞を果たしています。
中村紘子さんはこの後第13回大会~第16回大会まで、日本人では一番多く審査員を務めています。
審査員にはフランスの名ピアニスト、ヴラド・ペルルミュテールの名前もあります。
第8回大会(1970年)
第1位に輝いたのはアメリカのギャリック・オールソンです。
内田光子さんは第2位入賞を果たしました。
第3位入賞はポーランドのピオトル・パレチニで、前回大会第2位の反田恭平さんや今年の10月、大注目の牛田智大さんの師匠ですね。
遠藤郁子さんは第8位でした。
この大会では永井進さんが日本人初の審査員となりました。
第9回大会(1975年)
第9回大会ではポーランドのクリスティアン・ツィメルマンが第1位に輝きました。
ハラシェヴィチの優勝以来、20年ぶりにポーランドに優勝をもたらしました。
当時18歳で最年少優勝者だったツィメルマンは、その後も人気が衰えず、現在も世界各地でリサイタルをおこなっており、現代を代表するピアニストの一人です。
大の親日家で東京にも自宅があるとか。
審査員は、スペインの作曲家のフェデリコ・モンポウや、井口愛子さんらが務めました。
第10回大会(1980年)
第10回大会では、ベトナムのダン・タイ・ソンが第1位に輝きました。
ダン・タイ・ソンはアジア人初の優勝者で、当時大きな話題になりました。
そして、海老彰子さんがエヴァ・ポヴウォッカと共に第5位に入賞しました。
ポゴレリチ事件
作曲家が弱音と指定している箇所を強打するなど、型破りなピアノ演奏をおこなうクロアチアのイーヴォ・ポゴレリチは、数々の国際ピアノコンクールで優勝を勝ち取ってきましたが、その奇抜な演奏はショパン国際ピアノコンクールでも物議をかもしました。
ポゴレリチが本大会1次予選に合格したときに、これに納得できない審査員のルイス・ケントナーが辞任します。
また、ファイナリストに選ばれなかったことに強く抗議したアルゲリッチは「彼こそ天才なのに」と審査員を辞任しました。
これらによって絶大な人気を得たポゴレリチは「聴衆賞」「批評家賞」を受賞しました。
日本からは安川加壽子さんが審査員を務めました。
第11回大会(1985年)
第11回大会では、ロシアのスタニスラフ・ブーニンが第1位に輝きました。
ブーニン旋風
NHKがショパンコンクールを取り上げた番組を制作・放送し、「ブーニン旋風」と言われるほどブーニンの人気が日本で高まりました。
日本からは小山実稚恵さんが第4位入賞を果たしました。
審査員は、日本から園田高弘さんが務めました。
第12回大会(1990年)
第12回大会の第1位は該当者なしです。
そして、アメリカのケヴィン・ケナーが第2位入賞です。
ケヴィン・ケナーは本大会1次予選では、他を寄せ付けない見事な音色と音楽構成で第1位はケヴィン・ケナーに決まったと誰もが思うほどに期待されました。
しかし、残念ながら本大会2次予選、3次予選、ファイナルと回を重ねるごとに、その演奏は精彩を欠いていき、結果的に、優勝は叶いませんでした。
ケナーはもともと胃腸が弱く、コンクール中、食事ができないほど衰弱していたようです。
この回は、横山幸雄さんが第3位入賞、高橋多佳子さんが第5位入賞した他、多数の日本人がファイナリストになりました。
審査員としては、日本からは安川加壽子さん、中村紘子さんが務めました。
ギネス世界記録
横山幸雄さんは、2010年5月に、約16時間をかけてショパン・ピアノソロ全166曲を暗譜演奏し、ギネス世界記録として認定されました。
第13回大会(1995年)
第12回に続き第13回大会も、第1位は該当者なしです。
フランスのフィリップ・ジュジアノとロシアのアレクセイ・スルタノフが同率第2位でした。
授賞式ボイコット
アレクセイ・スルタノフは19歳のときに最年少でヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝しています。
ショパンコンクールでは第1位にならなかったことを不服として、授賞式をボイコットして帰国してしまいました。
その後も世界各地でコンサートをおこない、聴衆からの熱い支持を受けていましたが、2001年に転倒により硬膜下血腫で、左半身麻痺となってしまいます。
必死のリハビリを続けて右手のみで演奏活動もしていましたが、35歳の若さで亡くなってしまいました。
宮谷理香さんは第5位入賞です。
日本人の審査員は、小林仁さん、中村紘子さんでした。
第14回大会(2000年)
第1位に輝いたのは中国のユンディ・リです。
ユンディ・リは当時18歳で、ツィメルマンの記録を塗り替えての最年少優勝者となりました。
前回前々回と、2回続けて第1位が出ておらず、15年ぶりの新星誕生でした。
ユンディ・リは甘いマスクで、日本でも大人気になりました。
佐藤美香さんは第6位入賞です。
なお、第10回大会の「ポゴレリチ事件」で審査員を辞任したアルゲリッチが、今大会から20年ぶりに復帰しています。
日本人審査員は、遠藤郁子さん、中村紘子さんでした。
第15回大会(2005年)
第1位に輝いたのは、ポーランドのラファウ・ブレハッチでした。
第2位は該当者なしです。
同率第3位は、韓国のイム・ドンヒョクと、同じく韓国のイム・ドンミンです。
そして同率第4位で、山本貴志さん、関本昌平さん。
第5位は該当者なしで、第6位に中国のリー・カリン・コリーン。
第6位入賞までに、第1位を除いて全てアジア人となりました。
第3位は、なんと兄弟です!
中村紘子さんが審査員を務めました。
賞を総なめ
ポーランド人の優勝は第9回大会のツィメルマン以来の30年ぶりで、ポーランドは熱狂に包まれました。
審査員満場一致で第1位に選ばれたブレハッチは、ポロネーズ賞、マズルカ賞、ソナタ賞、コンチェルト賞など、すべての賞を獲得しました。
2003年の第5回浜松国際ピアノコンクールにて第1位なしの第2位になりましたが、第2位入賞の獲得賞金で、彼は初めてグランドピアノを買うことができたそうです。
辻井伸行さんも挑戦
この大会で忘れてはいけないのが17歳で挑戦した辻井伸行さんのことです。
当時の出場資格は、17歳以上28歳以下でした。
辻井さんはカーテンコールが4回も起きるほど素晴らしい演奏を披露されましたが本大会2次予選を通過できず、ファイナリストに選ばれませんでした。
この結果に対してインターネットで配信を視聴していた世界中の方々から抗議があり、後に異例の「ポーランド批評家賞」が辻井さんへ贈られました。
その後、辻井さんは20歳でヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝に輝きました。
第16回大会(2010年)
第16回大会では、ロシアのユリアンナ・アウデーエワが第1位に輝きました。
ショパン生誕200年の年で、マルタ・アルゲリッチ以来45年ぶりの女性の優勝です。
楽譜から意図を読み取り、隅々まで考え抜かれた音色による演奏は、審査員のアルゲリッチをうならせました。
ちなみに、日本のヤマハ製ピアノを使用したコンテスタントの優勝はこれが初めてだったそうです。
残念ながら、日本人コンテスタントは本大会2次予選で全員が姿を消しました。
日本からは小山実稚恵さんが審査員を務めました。
第17回大会(2015年)
第17回大会は審査員の意見が分かれて長時間の審議となりました。
結果、韓国のチョ・ソンジンが第1位、アメリカのシャルル・リシャール=アムランが第2位、同じくアメリカのケイト・リウが第3位となりました。
優勝したチョ・ソンジンは2009年15歳で第7回浜松国際ピアノコンクールの最年少優勝を勝ち取っています。
チョ・ソンジンの演奏は精密ですばらしいものでしたが、名ピアニストのフィリップ・アントルモンが最低点を付けたことが審査を悩ませました。
1位なしの可能性もあったようですが、結果的にはチョ・ソンジンが優勝しました。
知性と芸術性を併せ持つ第3位のケイト・リウを推す人も多かったようです。
小林愛実さんがファイナリストになりました。
日本からは海老彰子さんが審査員を務めました。
第18回大会(2021年)
第18回大会は新型コロナウイルスの影響で、開催が1年遅れました。
第1位にはカナダのブルース・リウが輝きました。
そして、同率第2位に反田恭平さんとイタリア/スロベニアのアレクサンダー・ガジェヴが入賞。
スペインのマルティン・ガルシア・ガルシアが第3位入賞。
同率第4位に小林愛実さんとポーランドのヤコブ・コシュリクが入賞しました。
ちなみにブルース・リウは2016年第6回仙台国際音楽コンクールで第4位、アレクサンダー・ガジェヴは2015年第9回浜松国際ピアノコンクールで優勝を果たしています。
パンデミックによる延期を乗り越え、YouTube再生回数は本大会期間中だけで3,750万回、総視聴時間、800万時間。
前回大会の実績を4倍以上も上回る、史上最高のオンライン熱狂を記録し、まさに“多様性の祝祭”と呼ばれた大会でした。
このあと、反田恭平さんと小林愛実さんがご結婚されたのも話題になりましたね。
まとめ
ショパンコンクールの歴史は、音楽の美しさだけでなく、社会情勢や人間ドラマをも映し出してきました。
こうして生まれた伝説は次世代へと受け継がれ、さらに彩りを増していきます。
第19回大会が目前に迫る今こそ、新たな栄光の瞬間をリアルタイムで見届けましょう!
ワルシャワで次に名を刻むのは誰なのか。
開幕まであとわずかです。
お知らせ
ピアノレッスンのご相談も随時受け付けております。
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