J.S.バッハの人物像
ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750年)はドイツの鍵盤楽器演奏家・作曲家です。
ドイツ・アイゼナハには音楽家バッハ一族が住んでいましたが、J.S.バッハもそこの出身です。
幼少期に両親を亡くし、年の離れた長兄に育てられました。
学校を卒業すると宮廷楽団に入ります。
そこでヴァイオリンとオルガンを担当し、めきめきと腕を上げて行きました。
22歳の時にいとこのマリア・バルバラと結婚して7人の子供をもうけました。
しかし当時のバッハの生活は苦しく、好待遇を求めて楽団や教会を渡り歩いたり、作曲した曲を安い値段で売ってしのいでいました。
バッハが35歳頃、13年間連れ添ったマリア・バルバラが急死してしまいます。
二人目の妻は宮廷歌手のアンナ・マクダレーナです。
彼女は音楽的才能が豊かで、写譜などの作業も手伝うことができました。
彼女との間にも13人の子供をもうけています。
バッハの演奏能力は高く、息子達や弟子達の教育には熱心でしたが、どうも世渡りが下手でトラブルも多かったということです。
今でこそバッハは音楽史には欠かせない大人物ですが、生前の評価は残念ながらそれほどでもなかったようです。
先妻マリア・バルバラとの間に生まれた長男で対位法の大家であるフリーデマン、同じく次男で古典派音楽の基礎を作ったエマヌエル、後妻アンナ・マクダレーナとの末子でモーツァルトの師であるクリスチャンの3人の方が有名になり、バッハは彼らの父親というポジションでした。
また、バッハと同年に生まれたヘンデルの方が、国際的な作曲家として人気も格も上だったようです。
晩年、目の病気に苦しみ、手術の失敗から65歳で生涯の幕を閉じました。
新しいものを求めていた時代には、バッハの音楽は古臭いものとして映っていたのでしょう。
彼の死後、その作品はだんだん忘れられていきました。
ところが彼の死から80年後、メンデルスゾーンが『マタイ受難曲』を再演させた事をきっかけに、バッハの偉業が認められるようになっていきます。
バロック音楽の集大成として、それらは後世の偉大な音楽家たちのバイブルとなりました。
そして現代に生きる私達も、色々なシーンでバッハの音楽を耳にします。
しかもそれらは全く時代の違和感がありません。
小さなモチーフが散りばめられた彼の音楽は、私達に謎解きを挑むように厳かにたたずんでいます。
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