ショパンの人物像
フレデリック・ショパン(1810~1849)はポーランドのピアニスト・作曲家です。
父親はフランス人で、ポーランドに移住してからはフランス語教育者として名を上げました。
母親はポーランドの没落貴族の娘です。
一家は学生寮を経営し、ショパンは幼い頃から音楽が溢れる家庭で育ちました。
好奇心旺盛なショパン少年は、物を観察するのが好きで、ユーモアの感性はずば抜けていたそうです。
7歳で作曲し、公開演奏をするようになるとモーツァルトやベート―ヴェンのように神童として演奏旅行に出るようになりました。
父親の勧めでワルシャワ音楽院に入学し、首席で卒業します。
卒業後はウィーンで演奏活動をしていましたが、その頃祖国ポーランドで独立運動が失敗に終わります。
ウィーンでは反ポーランドの風潮が高まり、居づらくなった彼はパリ行きを決断します。
パリではシューマン、リストらと親交を深め、独自の音楽を切り開いていきました。
リストの愛人であったダグー伯爵夫人のホームパーティーの場で、ショパンは運命の女性ジョルジュ・サンドに出会います。
はじめは彼女に嫌悪感を抱いてきましたが、次第に掛け替えのない存在になっていったようです。
ところでショパンはそれ以前に恋した女性が2人いました。
一人は同じワルシャワ音楽院のソプラノの学生で、彼女は学校一の人気者でした。
彼にとっては高値の花だったらしく、結局話も出来ずに終わったようです。
もう一人はポーランドの貴族の令嬢マリアです。
彼女とは婚約までしていましたが、ショパンの身分や病弱な体、そしてマリアの若さを理由に結局破談になってしまいます。
ショパンは39歳で亡くなるまで、最愛の女性マリアからの手紙を肌身離さず持ち歩いていたということです。
失意のどん底から次々と珠玉の名曲を生み出したショパン。
もし彼がマリアと結ばれていたら?ジョルジュ・サンドと出会っていなかったら?
私達が彼の曲をコンサート会場で聴ける機会も減っていたに違いないでしょう。
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子どもから大人までピアノ指導する傍ら、本サイト「ピアノサプリ」を開設し運営。【弾きたい!が見つかる】をコンセプトに、演奏効果の高いピアノ曲を1000曲以上、初心者~上級者までレベルごとに紹介。文章を書く趣味が高じて、ピアノファンタジー小説「ピアニーズ」をKindleにて出版。お仕事のお問い合わせはこちらからお願いします。