反田恭平さん~徹子の部屋、2回目登場
反田恭平さんが出演された徹子の部屋を見ました!
前回は指揮者の佐渡裕さんとご一緒されて、今回は2回目の出演です。
気になるショパンコンクールに出場された経緯や父子関係、今後の活動について伺うことができました。
サッカー・ピアノ・指揮
まず、反田恭平さんの時間軸に沿ってお話をまとめてみました。
4歳
【ピアノ】エレクトーン教室に通い始める。その後ピアノ教室へ。
【サッカー】ワールドカップ出場を夢見て、日々練習に打ち込むサッカー少年。
11歳
【サッカー】手首骨折。その頃、鼻を骨折した宮本選手がワールドカップに出場しているのを見て、サッカーの危険さに気づきサッカーを断念。
12歳
【指揮】題名のない音楽会に応募して、大ホールでオーケストラの指揮をする。
【ピアノ】指揮者になるには何か楽器を極めることが必要とアドバイスを受け、ピアノを本格的に始める。
その頃、ショパンコンクールを知り、サッカーのワールドカップに出たかったのと同じ気持ちでショパンコンクールに出場してみたいと思う。
27歳
【ピアノ】ショパン国際ピアノコンクール第2位。
【指揮】指揮の勉強のため、ウィーンに留学予定。
ざっとこんな感じです。
私の予想では、小澤征爾さん佐渡裕さんが優勝した、ブザンソン国際指揮者コンクールに挑戦するのでは?と思っています。
父子関係
あまり連絡を取っておられないようです。
音楽の道に進むのを猛反対しておられたお父さんは、そうやすやすと手のひらを返せないといったところでしょうか。
まだ演奏会にも一度も足を運ばれたことはないそうです。
しかし、お父さんの存在があったからこそ、反田さんのパワーに火が付いたのではないでしょうか。
信念を突き通されるところは、DNAを受け継いでおられると思います。
ちなみにお母さんはショパンコンクールのファイナルを見に来られたそうです。
ピアノコンチェルトの演奏中、ずっと涙が止まらなかったとか。
角野隼斗(かてぃんさん)のお母さんも来られていましたね。
ハラハラドキドキしながらも至福の時を満喫されたと思います。
ショパンコンクール中の精神面
一次予選では、想像していた8倍くらい緊張されたということです。
緊張の余り思うように練習もはかどらず、二次予選は棄権する決意を固め、師匠のパレチニ先生に長文のメールを作ったそうです。
しかし、そのことを相談した友人に最後の最後で止められ、結局メールを送らず棄権を回避されました。
友人とは務川圭吾さんでしょうか??
客席で応援されていらっしゃいましたね。
反田さんは不安を消すため、一次予選が終わってから猛練習をされたそうですが、それも悪循環だったようです。
もともと反田さんは短期集中型で、レコーディングで6時間も弾いたのがきつかったと、何かの対談でおっしゃっておられました。
友人にピアノから離れるように勧められ、まる1日半、映画を見たりゲームをしたりされたそうです。
結果的に力みが取れ、二次予選は成功しました。
自分のためではなく、パレチニ先生のために弾こうと気持ちを切り替えられたのも功を奏したようですね。
それにしても徹子さんを目の前にして、堂々とされていらっしゃったのは流石です!
おそらくショパンコンクールよりも恐ろしいものはないと悟られたのでは??
まとめ
反田恭平さんは、もともと指揮者に憧れて、ピアノを本格的に勉強することになりました。
クラシック音楽はカッコイイと目覚められたようです。
お父さんとの関係は、相変わらずお互いに避けておられるみたいです。
ショパンコンクールで、途中棄権しようかと言うほど、追い詰められた精神状態だったということにびっくりしました。
今後はウィーンに留学して、本格的に指揮者の勉強をされるようです。
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子どもから大人までピアノ指導する傍ら、本サイト「ピアノサプリ」を開設し運営。【弾きたい!が見つかる】をコンセプトに、演奏効果の高いピアノ曲を1000曲以上、初心者~上級者までレベルごとに紹介。文章を書く趣味が高じて、ピアノファンタジー小説「ピアニーズ」をKindleにて出版。お仕事のお問い合わせはこちらからお願いします。