反田恭平さんが情熱大陸に出演!サムライ・ピアニストの挑戦を振り返ります
毎日熱狂した第18回ショパン国際ピアノコンクールの感動を、もう一度味わうことができました!
第2位に輝いた反田恭平さんの偉業へ、あらためて敬意を表します。
ピアニスト反田恭平さんの情熱大陸を見て、ショパンコンクールを振り返ります。
プライベートな映像もとても楽しめました。
情熱大陸に登場したのは3回目。
第1回目の情熱大陸(2016年10月2日)は、お父さんに大反対されつつも、ピアニストの道を選びモスクワに留学した頃でした。
この放送を機に、反田さんの人気はうなぎ上りに高まっていきます。
私も衝撃を受け、この放送を見て4つのブログを書いています。
ショパンコンクールで反田さんのファンになった方にはぜひお読みいただきたいです。
第2回目(2020年8月2日)では、オーケストラを自ら作り、音楽家の育成やクラシック音楽の発展を願う姿が紹介されました。
そして第3回目(2021年11月28日)は、ショパンコンクールでの反田さんを追っています。
実は第1回目のモスクワ留学時代には、すでにショパンコンクールへの挑戦は心に決めておられたようです。
番組では「12歳ごろからショパンコンクールの舞台で演奏することが憧れであった」と紹介されていました。
一方、日本で「もっともチケットが取れないピアニスト」と言われながら、ショパンコンクールに挑戦することには反対意見もあったようです。
もしも結果が悪かったら、今の地位や名誉に傷がつく可能性があるからです。
これは前回の第17回ショパンコンクールでファイナリストに選ばれ、今回見事第4位に輝いた小林愛実さんにも言えること。
その勇気と信念に敬服します。
反田さんは子供の頃の夢をかなえるため、また、世界での自分の立ち位置を知るために、ロシアの次にポーランドに留学し、着々と準備を整えます。
そして7月の予備予選、10月の1次予選、2次予選、3次予選をくぐりぬけ、12人のファイナリストに選ばれました。
ファイナルでは反田さんがピアノ作品中で一番好きな曲「ピアノコンチェルト 作品11」を弾くことができました。
ポーランドでの初レッスンもこの曲だったそう。
コンテスタントは当然ながら全員、最終目標のコンチェルトまで研さんを積んでショパンコンクールにのぞんでいます。
しかし、その中で実際に弾けるのはわずか12人。
反田さんは目標としてきた夢が1つ叶ったわけです。
ファイナルの前、務川慧悟さん(2021年エリザベート王妃国際音楽コンクールピアノ部門第3位)に反田さんが演奏を聴いてもらうという貴重な映像を見ることができました。
お二人は2012年日本音楽コンクールで第1位に同時入賞されました。
反田さんが桐朋の高校3年生、務川さんが東京芸大の1年生のときです。
その後もよきライバルであり、かけがえのない親友として共に歩んでおられます。
「重要な非和声音がときどき素通りされているように感じることがある」
「”痛み”みたいなものが、ときどき欲しいことがある」
務川さんの貴重なアドバイスを、反田さんはさっそく楽譜に書き込みます。
反田さんの演奏ではいつも「ここにこんなメロディーがあったのか!」と驚かされるのですが、務川さんのアドバイスもまさにそんな感じ。
そして反田ファンにはたまらない、反田さんのご自宅も映りました。
ここがうわさのショパンコンクールの会場となったワルシャワ・フィルハーモニーホールから徒歩5分のアパートですね!
きっちり整理整頓されたすっきりしたお部屋でした。
ピアノはカワイ。
コンクールではスタインウエイを選ばれていましたが、ホールの音響を考えての選択でしょう。
コンクール開催中は練習のしすぎで、右腕がむくんで辛そうでしたが、演奏中の足元は左ペダル(ウナコルダ)と右ペダル(ダンパーペダル)の踏みかえも相当ハードに思えました。
私だったら足がつりそうです。
ロシア~ポーランドの留学の次は、ウィーンへ指揮の勉強に行かれるそうです。
次はもしかして指揮者のコンクールかも。
規格外の反田さんですが、軸足はぶれずに一歩一歩慎重に計画的に進んで行かれるのかと思います。
間違いなく日本の宝。
これからも目が離せません。
チケットはますます取れにくくなりましたが、応援し続けたいと思います♪
第18回ショパン国際ピアノコンクールでの反田さんの演奏もぜひお聴きください。

子どもから大人までピアノ指導する傍ら、本サイト「ピアノサプリ」を開設し運営。【弾きたい!が見つかる】をコンセプトに、演奏効果の高いピアノ曲を1000曲以上、初心者~上級者までレベルごとに紹介。文章を書く趣味が高じて、ピアノファンタジー小説「ピアニーズ」をKindleにて出版。お仕事のお問い合わせはこちらからお願いします。