シューマンについて

ロベルト・シューマン(1810年~1856年)
ドイツの作曲家である。

父は書店経営や出版業を営む実業家、母は外科医の娘で、シューマンは5人兄弟の末っ子として裕福な家庭に育った。

両親ともに文才に恵まれていたようであり、シューマンも後に歌曲などの文学的音楽作品や評論などで受け継がれた才能を発揮する。

7歳の時にウェーバー指揮のベートーヴェンの交響曲を聴いて衝撃を受けたのを皮切りに、父のお供で色々なコンサートに行くようになり、自らもピアノで作曲や編曲を試みている。

父親はシューマンの音楽的才能を認め、高価なピアノを買い与えたり、音楽活動を支援するようになる。シューマンが15歳の時には、当時世界最高のピアニストと言われたウェーバーに息子を弟子にしてほしいと頼むが、ウェーバーはその翌年病死してしまい、叶わなかった。それから間もなくその父も亡くなってしまう。

シューマンは音楽の道に進みたかったのだが、母親の強い意向でライプツィヒ大学で法学を専攻する。しかし法学への興味はなく、旅行や遊興で浪費もかなりしていたようである。そして次第にまた音楽にのめり込むようになる。

シューマンの音楽への情熱に根負けした母親は、当時一流のピアノ指導者であったヴィ-クの高額な授業料を負担することになった。後々ヴィ-クの娘のクララと結婚することになるのだが、この時のクララは9歳である。

それから数年後、愛娘クララとの結婚にヴィークは猛反対し妨害する。人気ピアニストであったクララの道を閉ざされることやシューマンの恋愛遍歴などが理由だ。その苦悩がシューマンに数々の名曲を生み出させる。

結局ヴィ-ク相手に訴訟を起こす事態となる。二人は勝訴し、結婚して8人もの子宝にも恵まれる。しかし過労と精神的疲労が重なり、様々な恐怖症がシューマンを襲った。シューマンの後期の音楽にはそれらが見え隠れしている。

シューマンが作曲し、クララが演奏で披露宣伝するという二人三脚の音楽活動はシューマンの死後も続いた。そして今は同じ墓で眠りについている。

小説「ピアニ>ーズ」
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