モーツァルトについて

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1843~1907)
オ-ストリアの作曲家である。

父レオポルトは大学では法律と歴史を学んでいたが、退学してヴァイオリニストになったという経歴を持つ。アマデウスの兄弟は7人いたが、母と同名のマリア・アンナ(通称ナンネル)を除く5人は乳幼児期に亡くなっている。

レオポルトは『ナンネルの音楽帳』という音楽教材を自ら作り、娘のナンネルにクラブサン(当時の鍵盤楽器)の英才教育をした。ナンネルの音楽的才能は素晴らしかったが、5歳年下のアマデウスが姉の教材を難なくクリアし、作曲も行うなどその才能は群を抜いていた。

レオポルトは我子が音楽の天才であると確信し、『神童』としてヨーロッパ各地に演奏旅行に連れ回すのであった。当時は郵便馬車に乗ってガタガタ道を走る旅。この馬車の振動が健康に害を与えたとも言われている。イタリア・ドイツ・フランスと回りながら、アマデウスは各地で音楽の勉強もしていたようだ。

演奏旅行は一応の成果を見るが、もう一つの目的である就職活動についてはうまく行かなかった。当時の人達にとって、アマデウスの音楽は斬新すぎたのかもしれない。また彼は「注意欠陥多動性障害(ADHD)」だったという説もある。

彼の偉業は周知の通りで、残念ながら35 歳という若さでこの世を去るのだが、死去する3年前の手紙に自分自身のことを語っている。

「ヨーロッパ中の宮廷を周遊していた小さな男の子だった頃から、特別な才能の持ち主だと言われ続けてきました。私が幸運に恵まれていることは認めますが、演奏と作曲はまるっきり別の問題です。私ほど作曲に長い時間と膨大な思考を注いできた人間はいないでしょう。有名な巨匠の作品は全て念入りに研究しました。作曲家であるということは精力的な思考と気の遠くなるほどの努力を意味するのです。」

凡人の1時間と天才の1時間は違うことは明らかで、作曲家としてのスイッチが入ったアマデウスは、まさしく身を削る勢いでペンを動かし続けていたに違いない。

彼が残した曲達は現代人である我々を癒してくれる宝物である。

小説「ピアニ>ーズ」
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