フォーレについて

ガブリエル・フォーレ(1845~1924)
フランスの作曲家である。

フォーレはフランス南部で生まれ、教会のパイプオルガンを弾くのが大好きな少年だった。

フランスではフランス革命によって教会が荒廃したが、その後再び教会音楽が見直され、古典宗教音楽学校が設立されたのは1853年だった。その翌年にフォーレは入学し、作曲やオルガンの基礎を学んだ。

天才音楽家と言われるサン=サーンスが、しばらくしてこの学校に赴任してきたのだが、それがフォーレの音楽観に大きな影響を与えることとなる。サン=サーンスは、その学校のカリキュラムになかったロマン派の音楽を彼に教えてくれたのだ。フォーレの音楽は、伝統的な宗教音楽をベースに華やかで激しい心情が見え隠れする。

ドイツ音楽に対抗して、フランス独自の音楽発展を求め、1871年フランス国民音楽協会が作られた。サン=サーンスやフランクらとともに、フォーレもフランス音楽の発展に貢献した。

1905年、ローマ大賞においてラヴェルが落選したことで、パリ音楽院への批判が集中する事態が起こる。この「ラヴェル事件」の責任を取って院長が辞めたのだが、その後任がフォーレだった。

パリ音楽院院長の他、フランス国民音楽協会会長などでも見事な手腕を発揮し、フランスの文化発展に貢献した彼は、国から1等勲章を授与され、葬儀も国葬であった。人望も厚く、弟子達にも支えられて豊かな音楽生活を送ったようである。

一方、私生活では恋愛遍歴が多く、女性に触発されて作曲し献呈した曲も多い。

小説「ピアニ>ーズ」
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