シマノフスキについて

カロル・マチエイ・シマノフスキ(1882~1937)
ポーランドの作曲家である。

ポーランド貴族の家に生まれた彼は、芸術を愛する両親の元で何不自由ない幼少期を送った。

ピアノの手ほどきは父親に受けている。

その後ワルシャワで音楽を本格的に勉強するようになる。

彼の初期の作品はショパンスクリャービンの影響を受けた後期ロマン派の作風であり、この時期は第一期と呼ばれる。

第一次世界大戦勃発により生活拠点を故郷に戻したが、その頃は古代ギリシャや初期のキリスト教、オリエンタリズムについての研究に没頭し、作風は印象主義に古代宗教的、神秘的なエッセンスがプラスされており、第二期と言われる。

1917年、シマノフスキ家にボリシェヴィキ(レーニンが率いた左派の一派)が侵入し、美術品などが強奪されるという事件が起きる。

経済的に大打撃を受けた上、シマノフスキ愛用のピアノも池に投げ込まれ、ショックを受けた彼は音楽から一時遠ざかることになる。

1918年、ポーランドの独立と共にワルシャワに戻ったシマノフスキは、ポーランドの民族音楽(特にタトラ民族舞曲)に傾倒するようになり、第三期に入る。

シマノフスキの作品はどれも難曲で高度なテクニックを要する。

彼自身、自分が作曲した曲について「こんな悪魔的に難しい曲、誰が弾くのだろうか?」と言ったらしい。

彼の作品は「~の影響を受けた」と言われることが多いが、その音響やリズムはシマノフスキ以外の何物でもない。

ワルシャワ音楽院の院長になり、若い音楽家の才能を伸ばすために改革を行おうと奔走するが、結局阻止され辞任に追い込まれる。

経済的にも困窮し、肺結核にも苛まれ、55歳の生涯を閉じた。

波乱万丈の災難に見舞われた人生であったが、彼の作品は年々評価が高まって、人気も不動のものとなっている。

ポーランドの音楽界に貢献した人物として、ポーランド歴代の芸術家や文人が眠る「大天使ミカエルと聖スタニスワフの教会」の地下聖堂に眠る彼は、第四期の作品について構想を練っているのかもしれない。

小説「ピアニ>ーズ」
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