カバレフスキーについて

ドミトリー・カバレフスキー(1904~1987)
ロシアの作曲家である。

文学、語学、絵画などに秀でていた多才なカバレフスキーは、自分の後継者にしたかった数学者の父に背き、音楽の道を選ぶ。

この頃、映画館でBGMピアニストとしてバイトをしてしていたが、その経験が後にサイレント映画や劇場の音楽制作に活かされている。

21歳でモスクワ音楽院に入ると作曲に没頭するようになった。

1923年、ソビエト連邦では革新的な音楽を発展させることを目標とする現代音楽協会(ACM)が設立される。メンバーはカバレフスキーの師であるミヤコフスキーや、ライバル的存在とも言えるショスタコーヴィチなどである。

一方同年に音楽は大衆に向けた明快なものであるべきというプロレタリア音楽家同盟(RAPM)が設立され、両者は激しく対立した。この時期、カバレフスキーはどちらにも属さず静観している。

約10年後、両者は国家によって解体され、新たにソビエト連邦作曲家同盟が成立された。音楽の傾向としては単純明快で大衆受けするプロレタリア音楽家同盟(RAPM)の路線を受け継いで行くことになる。

同盟は音楽業界をコントロールし、共産党指導者の意向が反映されるようになる。思索的な音楽を発表していたプロコフィエフやショスターコヴィチには規制がかかるようになる一方、明るくわかりやすい曲調のカバレフスキーはソビエト連邦という社会主義的国家に上手く適合し時代の波に乗ったとも言える。

1940年、35歳頃にカバレフスキーはソビエト共産党に入り、その作風は国に認められ、多くの賞を受賞した。名実ともにソ連公認の作曲家として地位を築き上げていく。

驚くべきことに、歌曲、独奏曲からバレエ音楽、交響曲に至るまで全ての音楽ジャンルで作品を残している。各楽器の特性についてなど、かなり勉強した努力家に違いないと言える。

カバレフスキーの功績の一つは、青少年の音楽教育に力を注いだことである。子供達の技術力を高めるための作品は素晴らしい。

カバレフスキーのソ連音楽界での権力は相当なもので、才能ある作曲家を封じ込めたという説もあるが、彼の子供向けのピアノ曲などを聴いていると、真面目でひたむきな少年の姿が目に浮かんでくる。

小説「ピアニ>ーズ」
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