ソナチネ 第2楽章(ラヴェル)@解説

ラヴェル 『ソナチネ』の背景

1903年~1905年、ラヴェル30才の作。この曲は1904年7月に出会い、その後生涯の友となるゴデブスキ兄弟に献呈された。

1905年はラヴェルにとって吉凶こもごもの年だったようだ。ラヴェルは1900年から5回にわたって若手作曲家の登竜門であるローマ大賞に挑んでいる。応募の条件が30歳までということで、1905年は最後の挑戦だった。

しかし審査員の悪意もあり予選で失格となってしまう。失意のラヴェル青年。作曲家としてキャリアへの道を断たれたと言っても過言ではない。これは『ラヴェル事件』と呼ばれる大事件となるのだが、またそのお話は後ほど・・・。

ラヴェル事件』が結局引き金になったのかもしれない。同年、作曲の才能を認められたラヴェルは、出版のデュラン社と契約しプロの作曲家として急遽デビューすることになる。しかもドビュッシーと同額の年俸だったそうだ。ラヴェルが名実ともに一流の作曲家の仲間入りを果たしたということである。

その頃パリの文芸誌が、最も優れた*『ソナチネ』の第1楽章の作曲者に懸賞金を出すことを企画していた。ラヴェルはすかさず『ソナチネ』を応募する。しかし応募者が集まらずコンクール自体が取りやめになってしまった。

結局譜面がラヴェルの元に戻ってきたので、彼はこの作品を*デュラン社に預け、1905年にめでたく出版第1号となったのだった。

*ソナチネ・・・ソナタという形式に基づいて作られた曲。一般的には第3楽章まである。

*デュラン社はフランスを代表する名門出版会社で、フランス人作曲家育成やフランス近代音楽発展に大きく貢献している。デュラン社の黄色がかったクリーム色の楽譜は、子供の頃は憧れの存在だった。

『ソナチネ』第2楽章 メヌエット

メヌエット...なんという柔らかな響きだろう。音楽には貴賎はないが、メヌエットは間違いなく「貴」であると思う。

元はフランスの田舎の踊りだったらしいが、バレエ好きのルイ14世が宮廷に取り上げて以来、全ヨーロッパで大流行したらしい。瞬くうちに、メヌエットは一組の男女が優雅で軽やかなステップで踊る立派な宮廷舞曲となった。

ラヴェル自身はこの曲を弾くにあたって「みんな、速く弾きすぎる!」とこぼしていたようで、かなりゆっくり弾いて欲しかったようだ。

古く懐かしいような、それでいて新鮮なイメージの曲。擬古典主義と言われる。どこまでもお洒落に、柔軟にそして品良く聴かさなければいけない。例えば3拍子だからといって、1拍目のアクセントを付けすぎると野暮ったくなってしまう。

ペダルの使い方も工夫が必要で、ペダルを乗せた足を軽く振動させるビブラートペダルという奏法が生きてくる。

どのピアノ曲でもそうだが、ひとまず弾けてからのワンランク上が難しい。ラヴェルのような印象派を弾くには、しっかりとした基礎のタッチができてからの少し指の角度を変える等の熟練が必要だ。柔らかい曲だからといって、ソフトペダルを踏み続けたり、ふにゃふにゃと芯のない音で弾くのは NG である。